新年早々暗い話

あけおめことよろ2016

歳とると一年の境目にありがたみが無くなるのは本当のようで、そうかぁと思いつついけないなぁと思い2016年はスタートしたわけです。

去年、フランスで同時多発テロがありその首謀者はISISの構成員とニュースで見ました。
難しい会話を置いておいて、現代のテロという物をちょっと考えたいなぁと思うわけです。
テロっていうのは一種の発言なんじゃないかなと思うわけです。
犠牲になった方への黙祷をささげつつ、そう感じるのね。

これが100年前だとちょっとした騒動ぐらいでそこまで話題にならなかったんじゃないかなぁと思うわけで。
それこそ、動乱レベルにならないと地球のウラの話が僕らの耳には入らないと思うのですよ。
youtubeやツイッター/FBといった手段で、飛躍的に社会的な声の出し方が進歩したなぁと感じるのですが、それの他に社会的にインパクトのある「破壊」をわりと簡単に手に入れられる時代がやってきたのだなとも思います。
AK47やRP-Gといった安価で破壊力のある兵器を名指しで悪者扱いするのではなく、そういった「破壊の為のテクノロジー」が安価になったことを改めて感じ「怖いなぁ」と思う訳です。

破壊の為のテクノロジーといえば古代は弓や槍、剣といった個人が持つ「武具」から進歩し、戦い方(ギリシャのファランクスや常備軍という仕組み)の進歩、武器といった直接的な科学の進歩、ベトナム戦争で花開いた心理学といった内面的な科学の進歩。 東西冷戦で進歩の限りを尽くした核兵器。 核兵器にいたっては神の力といえる領域に達したんじゃないかな、とか僕は考える訳です。
人類創生から西暦19990年代まで、破壊の為のテクノロジーは国家が掌握し、管理するものでした。
ですが2000年、アメリカ同時多発テロを皮切りにそれは権力者のみが持ちえる物ではなくなったのが現実です。
16年経った今、その度合いは増す一方かとおもいます。
それに加担してるのが電子空間の発達なわけで。
今ココでこうやってブログ書いてるこの技術がそれなわけで。

おっとそろそろ晩御飯つくんないとならない時間や。
つうわけでこの話は一旦終わり。

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